zumafish's diary

忘れたくないこと

山田洋次の名言6

神が宿るときは気持ちが穏やかで状態がいい状態ないといけない。色々な問題があって、家族の問題とか、恋愛とか、金とか、悩みを抱えてると、神様は宿らない

瓦を磨く修行で大切なこと

瓦を磨く修行の目的は、瓦を宝石にすることではありません。ただひたすら一途に磨き続けることである

妄想の悪

あなたと離れて、何かがあるという妄想の中をさまよい始めるとき、そのときあなたの周りは実在ではなくなる。あなたが妄想に迷うときには、あなたの周囲には深い霧のような幻想なのです。妄想には果てがない。色々な妄想の考えに次々と取り憑かれる。

中道とは

中道とは単純に足して2で割る平均値ということではありません。中道に公式は一切なく、マニュアルもない。 要するに一人一人の主体性です。バラン感覚と言ってもいい。一人一人のセンスの問題で、だから時と場合で全部違う。

宗教の定義

情緒によって感動されたる道徳

禅においての"知識"とは

知識には3種類ある。第一は読んだり聞いたりすることによってえるものである。いわゆる一般に理解されている知識はこの種類である。第二の知識は科学的といわれるものである。観察と実験、分析と推理の結果がこの種類である。前者よりは強固な基礎を持ってお…

英語のお経の日本語訳

感覚はない。知覚というものもない。意識さえもない。眼はない。耳はない。鼻はない。舌もない。体もない。心もない。色はない。音はない。においはない。味もない。感触もない。心の対象もない。眼の領域はなく、意識の領域さえもない。無知はない。無知が…

鈴木大拙の名言

一刹那が無刹那であるように、各行為は無為であり、各念は無念であり、意識の住みどころは無処である。心は自知に目覚めるというが、しかしけいさんして行えるような心の目覚めはどこにもない。

禅匠の名言

見ようと欲するならば、ただちに見よ。だがそれについて思考すればそれは全く失われてしまう。

真理を求めるところ

真理とは外にあるもので感知する主体によって感知されるべきもののように思われている。しかし実際は真理の只中に真理によって生きているのであって、そこから離れることはできない。"我々は大海の中で、頭も肩も水に浸っているようなものである。しかもなお…

念という漢字

仏教用語で"念"という漢字がよく使われるが、これは"含"と"心"の2つの漢字が組み合わさったもので"心の中に含む"という意味がある。

R.Dレインの名言

門を通り抜けないうちは門があることに気づかないのかもしれない。通り抜けるべき門があると思って長い間それを探してもついにそれを見つけ出さないのかもしれない。それをみつけだすかもしれない、しかもそれが開かないのかもしれない。それが開けばそれを…

禅における「問答」

禅は議論したり、学説をたてたりすることを拒む。それどころか自分の中から出てきた問いに関する答えは自分自身の中から見つけ出せという。なぜなら答えは問いの中にこそあるからである。 禅僧は言う。「私の言葉は私のもので、お前のものではない。お前のも…

人生の根本的な問題

人生の根本的な問題は、主格から逸脱したものであってはならない。 問いは知性的に起こされるものであるが、答えは体験的なものでなければならない。 知性の性質として、知性上の答えは必ず次から次へと問いを求め、最後にたどり着くことができない。その上…

闘争心に燃えつつ、平静でいるには

闘争心とは、メンタルタフネスを考える上で、最も重要なスキルである。 多くの人は"闘争心"と聞くと燃えたぎる激しいものをイメージする。 しかし闘争心を考えると、その根源にあるのは"使命感"と言えるかもしれない。それはつまり自分がするのではなく、さ…

スピードダウンして良かったこと

スピードダウンすると今まで見えてなかったことが必ず見えてくる。それが良いときもあれば悪いときもある。どんなに感度の良いアンテナでもフルスピードでは引っかからなかったものも見えてくる。それは今までの人生とは無縁のことかもしれないが、とても大…

感謝の気持ちを育てるということ

誰にでも"自分はこういう苦しい場面を何回も乗り越えてきた。"という体験の支えがある。自分がスランプになった時、支えてくれた人のことを繰り返し自分に言い聞かせているうちにスランプから抜け出せるという人もいる。大抵の人は勝利や成功が自信になると…

言葉の重さの認識

信念の言葉を吐こうと思ったら、普段から生半可なことを喋ってはいけない。話す言葉がいい加減では素晴らしいプレーヤーにはなれない。いつも真実を語るようにして、曖昧なことは一切話さないようにしてください。肝心な時に自分は絶対うまくやれるという言…

犬と同じになるな

犬はいったん吐き出して泥まみれになった食べ物でも平気でまた口に入れたりする。しかし人間はこんなことをしていないだろう。決して自ら捨てたお金、地位、家庭といったものを再び求めるようなことがあってはならない。

真我に至るという境地への経路

真我に至るとは、湖面が鏡のように静まり返っている状態のことをいう。湖面に波がたっているとは心がざわついているということである。この境地に至るには下記の4つの過程をたどる。1.心の様々な働きを止滅するには、修習と離欲という二つの方法を必要とする…

沢庵禅師の名言

"本心とは、一つのところにとどまらず、身体全体に伸び広がった心のことである。妄心とは、何かを思い詰めて一つのところに固まった心をいう。本心を失うと、色々な働きが欠けるから、本心を失わぬようにすることが肝要である"

洞山良价の詩

自分でないものに向かって真実を求めることは最も忌むべきことである。他で求めた自己は、自分自身とは全く異なっている。私は我が道を行こう。すると至る所で自分自身と出会う。我とは、自分が対象として理解できる何かではない。あらゆるものを含む自分自…

"あきらめる"の語源

あきらめるの語源は、元々仏教用語で"あきらめる=明らめる"と書き、"物事の道理、真理を明らかにし、こだわりを捨てること"という意味である。あきらめるとは、その先に行って新しい世界に飛び込むという意味と捉えることができる。

フィルジャクソンの勝利の神髄

"仏教徒の言葉に「天国と地獄は紙一重」という言葉があるが、私はバスケットボールにも同じことが言えると思う。優勝を勝ち取ることはデリケートな綱渡りの上に成り立ち、自分の意志を行使することで達成できることは僅かしかない。リーダーとしてのやるべき…

敗北に積極的に関与すること

禅の導師ジャクショウ・クォンは"敗北に積極的に関与することを提案している。皆は成功し、幸福になり、全ての欲望を満たすことだけを追い求めることに慣れすぎている、と彼は説明している。しかし、敗北が成長を促進することを理解しているとしても、ほとん…

仏陀の名言

怒りを持ち続けることは、誰かに投げつけようとして熱い石炭を握りしめるようなものだ。火傷するのは自分のほうだから。

愛でていても花は落ちる。嫌いでも雑草は生える

全ては特別なものを備えている。とはいえ私たちは花を愛し、雑草は気にかけない。これは人間の性質である。しかし愛の中に憎しみはある、しかし憎しみの中に愛がある。即ち需要もある。愛だけに執着してはならない。憎しみも受容しなければならない。気に入…

マインドフルネス

思考が柔らかく、ありのままを理解出来る状態を不動の思考という、このような思考はいつも安定しており、これをマインドフルネスという。 あれこれ分けられた思考は本当の思考ではなく、心が集中した状態でなければならない。対象があってもなくても、常に安…

瓦を磨く

カエルは面白い。自分がそんなに大切なことをしているとは思っていない。しかし人間は禅堂で座っている時は自分が特別なことをしていると思うだろう。カエルは禅をしているという考えがあって座っているのではない。見ていると邪魔なことがあるとしかめっ面…

無常であるということ

禅において"無常"とは、ものごとは移ろうこと、変化し続けるということ。全ては変化するということを理解し、その中で自分の中に平静さを見いだすことが大事。 善も悪も表裏一体であり、無常である。苦しみの中に喜びを見出すということの無常の真理を受け入…