zumafish's diary

忘れたくないこと

真理を求めるところ

真理とは外にあるもので感知する主体によって感知されるべきもののように思われている。しかし実際は真理の只中に真理によって生きているのであって、そこから離れることはできない。
"我々は大海の中で、頭も肩も水に浸っているようなものである。しかもなお、さも悲しげに水を求めて両手を差し出している。"とある禅匠は言った。
だからその匠は弟子に"わたしの自己とは何でしょうか?"と問われた時、すぐさま"自己をもって何をしようというのか"と答えた。自己について話し始める時、我々は必然的にすぐ自己と非自己の二元論を打ち立てて理知主義に誤り陥る。
我々は水の中にいる、これが事実である。水を求め始める時、自己と水を外的な関係におき、これまで自分のものだったものを取り上げられてしまう。