2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
私は一直線に考えるタイプだが、禅では一直線の考えは幻想に過ぎず、私たちを不幸にするものの一つとされる。未来も過去もなく、あるのは現在のみ。 あらゆる宗教では自己は障害であり敵とみなされる。それどころか禅では自己は存在しないと明確に述べられて…
懸命に働けば働くほど道は開ける。道とは何であるかを明確にした人はいないから、私はミサに参列して学ぼうと思う。 みんなに言いたい。自分を信じろ。そして信念を貫け。他人が決める信念ではない。自分で決める信念だ。心の中でこうと決めたことに対して信…
自分の価値は、自分に関わる人たちで決まる
"ビジネス"という言葉には違和感がある。当時の大勝利と決死の戦いを、ビジネスという無味乾燥な退屈なスローガンに押し込めるのは無理がある。一部の人間にとってビジネスとは利益の追求、それだけだ。 私たちにとってビジネスとは金を稼ぐことではない。人…
競争に勝つことは比較的簡単なこと。自分に勝つことはゴールラインのない挑戦。 CMの主役は製品そのものではなく、製品にこめられた精神。
一見すると私たちは何とも雑多な集まりで救いようのないミスマッチに見えるのは間違いない。だが実際は相違点より共通点の方が多く、だからこそ私たちは目標に向かって一丸と努力できる
ルールを守ったことでなく、ルールを破ったことが人々の記憶に残る
自分の心の中を探り、思い立った言葉はただ一つ、"勝つこと"だ。大層な言葉ではないが、それ以外の言葉以外が思い当たらない。どんなことがあっても私は負けたくない。負けることは死を意味する。ブルーリボンは私にとって3番目の子供で、スメラギもいったよ…
彼らは私のシューズを履いている。彼らの一歩やレシーブに、私も加わっている。スポーツイベントを見ている時、プレーヤーに自身を投影させる。ファンなら誰もがそれを味わっているが、アスリートたちが実際に自分が作ったシューズを履くのはまた格別な思い…
こんなレースはこれまで見たことがなかった。見たというより参加したような思いだ。数日後、太ももや手足が痛くなった。これがスポーツであり、スポーツの力だ。書物のようにスポーツは他人の人生を生きた心地にさせ、他人の勝利に関わった気持ちにさせてく…
スティーブ・プリフォーティーンについて、彼は感情を表に出し、陽気で外向的だ。彼は単に走るだけではない。常にショーマンシップを発揮しスポットライトを意識している。 プリ(愛称)を際立たせているのは彼の情熱ではないかと思うことがある。彼は一位であ…
百科事典の販売は売れなかったし、ミューチャルファンドの売り込みはまだマシだったが、内心は夢も希望もなかった。 シューズの販売はそれらと何が違ったろうか。セールスではなかったからだ。私は走ることを信じていた。みんなが毎日数マイル走ればもっと良…
"先生の本心はどこにあるんでしょう". "どこにあるんだろーなー、真相なんてなんて知らない方がいいこともあるんだよ" "打越くんの気持ちはどうなるんですか" "人の気持ちなんて通じ合うことが奇跡だから"
野生の人には固有の知があります。 それはあらかじめ立てられた計画に基づいて必要な道具や素材をテキパキと集める能力ではありません。 ありものを使いまわして未来の需要に備える能力です。
「悲しみ。怒り。苛立ち。叫び。泣く。不機嫌にもなる。目が覚めて、悪夢にうなされていたんだと思うだろう。でもそれは、現実に起こった出来事ということに気づくためでしかない。あの日、あの試合、あのプレーが起こる前に戻りたいと願う。だが、現実の世…
最近の男は、雨にずぶ濡れになっても口説こうとする奴がいない。何としても感がない。 かっこ悪くても良い、恥ずかしくても良いから、好きだと言うことを伝える、そんな人がいなくなった。 とある演出家は言う。
お前とセックスしても、顕微鏡で見ればお前と厳密には接触してないから何も変わらねえよ
日本では師弟スタイルが主流である。 師弟スタイルから得る教訓を一言で言えば師が弟子に教えるのは"コンテンツ"ではなく"マナー"である。 例えば2人の弟子がいたとする。何故か便所掃除が課せられる。 1人の弟子は便所掃除が無意味だと感じ、もっと有用性の…
情緒によって感動されたる道徳
日本人が国際社会に侮られているとしたら、その理由は軍事力が弱いことでも金がないことでも英語が出来ないことでもない。 自分がどうしてこのようなものになり、これからどうしたいのかを"自分の言葉"で言うことが出来ないから。 国民一人一人が持ち重りの…
日本人にも自尊心はあるけれども、ある種の文化的劣等感が常につきまとっている。 それは現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体を支配している一種の影のようなものだ。 本当の文化は外で作られているのであって、自分の…